ジュニア・ハイスクール時代からのスクールメイツであったMaroon 5(Kara’s Flowersというバンド名を名乗っていた)は、1995年9月16日にLAのThe Whiskyで初めて聴衆の前に姿をあらわした。ポップ、パンク、そしてロック・ミュージックを折衷してミックスした彼らの演奏に、ほどなく多くの人々が集まるようになる。オーディエンスたちを熱中させたのは、ステージ上でのバンドのパワフルなエネルギーだった。そして97年の夏までにはReprise Recordsからデビュー・アルバム「The Fourth World」をリリースし、すぐにReel Big FishやGoldfingerといったバンドたちとツアーを始めたが、その後99年になるとReprise Recordsを離れ、彼らは新しい音楽を模索し始める。飽くなき探求心であらゆる音楽を追求し、ギターにジェイムスを加え、その結果生み出したロックとR&B、そしてソウルのユニークな融合は、今Maroon 5の音楽のスタイルを明確に表現している。
バンドのサウンドの変化に大きく貢献したのは、メンバーたちの大学での経験である。そこで彼らは新しいサウンドの影響を受け、それらに没頭していた。Weezer、Nada Surfといったオルタナティヴ・ロック・バンドとしてのルーツから、Maroon 5は経験を積み、進化を遂げてきた。R&Bとフォークの影響は次第にオルタナティヴ・ロックという布地に織り込まれ、それがこのバンドの基礎となって行く。アルバムのファースト・シングルである「ディス・ラヴ」は、「サンデー・モーニング」や「シークレット」、「ノット・カミング・ホーム」といった楽曲同様、バンドのソウル・ミュージックへの深い関心がサウンドに反映されている。 「どこのレーベルと契約するか考えていたとき、おれはNYでほとんどの時間を過ごしていたんだ」 アダムは当時を振りかえる。 「おれはそこで、LAでは絶対に起こり得ないヒップホップ・カルチャーや都市の空気にさらされていた。それは完全に新しい音楽のジャンルへおれを奮い立たせ、ソングライティングに重大なインパクトを与えてくれたよ」 多くのメジャー・レーベルの取締役たちの前でショーケースを行った後、Maroon 5が契約の相手として選んだのは、NYをベースに新たに設立されたインディ−・レーベル、Octone Recordsであった。Octone Recordsは大手のBMGのなかに配置されたレーベルであり、クライヴ・デイヴィスおよびJレコーズとのジョイント・ヴェンチャーとしての取引もあった。バンドはプロデューサーでありミキサーのMatt Wallace(トレイン、Blues Traveler、サード・アイ・ブラインド、フェイス・ノー・モア)と共に、LAのRumbo Recordersで「ソングス・アバウト・ジェーン」をレコーディング。そのスタジオはこれまでにガンズン・ローセズやストーン・テンプル・パイロッツ、トム・ペティ・アンド・ザ・ハートブレーカーズ、スマッシング・パンプキンズ、ジョン・メレンキャンプといった影響力のあるアーティストたちがレコーディングをしたことでも知られている場所である。 今、LAをベースに活躍するMaroon 5は、El Rey、ハウス・オブ・ブルーズ、ヴァイパー・ルームといった名高いクラブで、ソールド・アウト・ライヴを定期的に行っている。またミッシェル・ブランチやEvan and Jaron、ニッカ・コスタ、ジョン・メイヤー、Sugar Rayらのサポート・アクトもすでに務めている。 Maroon 5はオーディエンスたちを彼らのグルーヴ・ロック・ワールドへ引きこむ不思議なパワーで満ち溢れている。 |